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『アイヌ差別』の実態

 私は、これまで何度か「アイヌ」と言われていじめられま
したが、いじわるをする人はどういうわけか教育もろくに受
けられず、下働きのような仕事をさせられている人たちばか
りでした。・・・学校の先生とか医者など教育を受けた人、
もののわかった人は、私たちアイヌを本当の日本人として尊
敬してくれました。山の中で働いている営林署の人、発電所
の人、炭鉱の人も少しも威張らず、私たちを大事にしてくれ
ました。
                砂沢クラ(アイヌ女性)
        
■ Japan On the Globe(635) ■ 国際派日本人養成講座 ■

国柄探訪: アイヌとの同化・融和・共生の歴史

「もののわかった人は、私たちアイヌを
本当の日本人として尊敬してくれました」
■転送歓迎 H22.02.14_38,877 Copies/3,253,051 Views ■

■1.「先住民族の権利に関する国際連合宣言」

 平成20(2008)年6月6日、衆参両議院において、「アイ
ヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で可
決された。それは次のような文章から始まる。
__________
 昨年9月、国連において「先住民族の権利に関する国際連
合宣言」が我が国も賛成する中で採択された。これはアイヌ
民族の長年の悲願を映したものであり、同時に、その趣旨を
体して具体的な行動をとることが、国連人権条約監視機関か
ら我が国に求められている。

 我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、
法的には等しく国民でありながら差別され、貧窮を余儀なく
されたという歴史事実を、私たちは厳粛に受け止めなければ
ならない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 この「国際連合宣言」では、第28条で、先住民族が奪わ
れた土地や資源に関して「原状回復」またはそれに見合った
公正な補償を与えることを定めている。

 これによれば、アメリカ開拓民に追われたインディアン、
オーストラリア開拓民に虐殺されたアボリジニは、天文学的
な補償を受ける権利を有するわけで、当然ながら、アメリカ、
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどは反対した。

 我が国の国会決議には、これらの白人開拓民と同様の差別
行為や収奪行為を、日本人がアイヌ人に対してなしたという
前提がある。実際に、この決議のあと、旭川アイヌ協議会は
「政府と天皇の謝罪」「土地、資源などを奪ったことへの5
兆円賠償」などを要求する申し入れ書を内閣官房アイヌ政策
推進室に提出している。

 今回は「多数のアイヌの人々が・・・差別され、貧窮を余
儀なくされたという歴史事実」が本当にあったのか、史実を
辿ってみたい。


■2.「血の繋がったいとこ同士」

 かつての人類学では、毛深いなどの身体的特徴から、アイ
ヌ人を白人種とする説もあったが、現代では遺伝子分析など
の科学的な手法によって、アイヌ人も沖縄人も和人と同じ起
源であることが明らかになっている。

 それによると、かつて日本列島には古モンゴロイドに属す
る縄文人が住んでいたが、アジア大陸内部で寒冷適応した新
モンゴロイドが朝鮮半島や南西諸島を経て日本列島に入り、
縄文人と混血しながら弥生文化を発展させ、和人に小進化した。

 一方、日本列島東部に居住していた縄文人は、新モンゴロ
イドと混血することなく、その多くの特徴を残している。こ
れがアイヌ人である。[1,p107]

 言語的にも、かつてはアイヌ語は現代日本語とはまったく
別の言語であるという説が広まっていたが、コンピュータ解
析によって、アイヌ語は日本語に最も近い言語であるという
報告がなされている。

 梅原猛らの研究によっても『古事記』や『日本書紀』『万
葉集』などに見られる古い和語にアイヌ語によって説明解釈
できる言葉が多くあることが明らかにされている。したがっ
て、アイヌ語も日本語も同じく縄文語を起源としつつ、その
後、分化したものと考えられる。

 すなわち、アイヌ人と和人はもとは同じ縄文人を起源とし
ているが、その歴史の過程でやや異なる発展をしてきた。そ
れは「血の繋がったいとこ同士」とでも言うべき関係で、決
してアメリカ開拓民とインディアンのような「赤の他人」の
関係ではない。


■3.アイヌ人と和人の混住と経済的結びつき

 アイヌ人と和人は、古くから混住し、盛んに交易を行いな
がら、共生してきた。『宋書』『旧唐書』(倭国日本伝)な
ど中国の5世紀から7世紀の歴史書は、古くからアイヌ人と
和人が混住してきたことを伝えている。『日本書紀』の斉明
天皇3(657)年の記載からは、7世紀中ごろには現在の北海
道後志(しりべし、小樽などを含む南西部)に行政府がおか
れ、盛んに交易していたことが窺える。

 函館市の船霊神社の創立は保延元(1135)年であり、その他
にも7,8百年以上の歴史のある神社が北海道沿岸部には複
数ある。仏寺も永享5(1434)年、函館市に隣接する北斗市に
海渡山阿吽(あうん)寺が移入建立されたのが最初である。

 康正2(1456)年、現在の函館市にあたる場所で、アイヌの
青年が和人の鍛冶屋に短刀を作ってもらったが、値段や切れ
味の問題で言い争いになり、鍛冶屋はアイヌの若者を刺し殺
してしまった。これをきっかけに東部の首領コシャマインを
中心にアイヌが団結し、戦端が開かれた。これがコシャマイ
ンの乱である。

 この背景の一つには、和人とアイヌ人が大規模に混住し、
経済的にも密接な繋がりを持っていたということがある。ア
イヌ青年と和人の鍛冶屋が取引を巡って争いになったという
こと自体が、日常的なつながりがあった事を示している。

 また当時、和人の方でも複数の勢力に分裂して、交易利権
を争っていた。乱の後、松前港の利益は東西二人の大酋長に
分配され、和人側は武田信広を始祖とする蠣崎氏が、分裂し
ていた和人勢力を統一したが、支配地は三分の一に減ってし
まったという。


■4.松前藩の経済的支配

 アイヌとの交易を一本化した蠣崎氏は、徳川家康から一万
石の大名に格付けされ、姓を松前に改め、北海道での貿易の
独占権を与えられた。一万石といっても、米は取れないので、
家臣には知行地のかわりに、アイヌとの交易地を与えた。松
前藩はアイヌを支配したわけではなく、交易を通じて共存し
ていた。アイヌからの毛皮や熊の胆などを、米、酒、茶、菓
子、衣服、日本刀、陶磁器などの内地商品と交換していた。

 和人の経済的影響力が強まるなかで、和人と融和し、その
文化を積極的に取り入れ、改革しようとする沙流川流域(さ
るがわ、道央南部)の大酋長オニビシと、これに反対する東
方の大酋長カモクタインの部族間抗争が起こった。カモクタ
インの後継者シャクシャインがオニビシを倒し、さらに松前
藩に弓を引いたのが、寛文9(1669)年の「シャクシャインの
蜂起」である。

 この戦いにシャクシャイン側が破れ、松前藩の支配が確立
して、各地に場所請負制が敷かれた。そして松前藩やその家
来たちが商人に請負人として経営を委託した。請負人はアイ
ヌ人に対して過酷な搾取を行ったが、藩主やその家来は、彼
らから多くの借財があって、口を出せなかった。


■5.幕府のアイヌ保護政策

 江戸幕府は寛政11(1799)年、場所請負人の横暴を断ち、
過酷なアイヌ使役を緩和しようと、アイヌとの直接交易を開
始した。さらに文化4(1807)年、蝦夷地全域を直轄地とし、
その後、松前藩への復領、再度の直轄と揺れ動いたが、アイ
ヌ保護政策は一貫していた。直轄地とした際に、幕府は次の
ような申渡しを請負人とアイヌ双方に出している。[1,p43]

労働政策: アイヌへの適正な賃金支払いと過酷な使役禁止
のために、役人に監督させた。

人口維持政策: 若い男女に結婚を奨励し、そのために酋長
が多くの妾をもつことを制限した。また幼児の保護を行い、
医療施設を設置し、種痘を実施した。老幼不具者の困窮を救
い、家屋の改善を図って、不衛生な生活を改めさせた。

同化政策: 請負人によって禁じられていた日本語の使用を
許可し、望む者には文字を習わせた。入れ墨や耳輪を禁じ、
髭を剃らせ髪を結わせるなどの教導に努めた。

 特にアイヌ習俗を改めることについては、「古来からの風
習を改めるのであるから、にわかに信服するはずもなく、ま
ず衣食住の生活に便利なることを明らかにし、内地から移住
した農民共の生活を標準に、追々馴染ませるように仕向け、
御趣意柄を会得したアイヌから漸次に改俗させるよう取計ら
うこと」とし、強制しない方針を明らかにしている。


■6.一視同仁のアイヌ保護政策

 明治になってからも、アイヌ保護政策は新政府に引き継が
れた。明治11(1878)年8月、北海道のアイヌ部落を訪れた
イギリスの女流探検家イザベラ・バードは、政府のアイヌ行
政について、こう記している。[1,p176]
__________
 開拓使庁が彼らに好意を持っており、アイヌ人を被征服民
族としての圧迫的な束縛から解放し、さらに彼らを人道的に
正当に取り扱っていることは、たとえばアメリカ政府が北米
インディアンを取り扱っているよりもはるかにまさる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 しかし、貨幣経済や定住生活に慣れないアイヌ人も多く、
明治24(1891)年、道庁が農業指導を廃止すると、与えられ
た耕作地を酒1本と交換して放浪生活に戻る者も現れた。

 こうしたアイヌの窮状を救う目的で、明治32(1899)年に
制定されたのが「北海道旧土人保護法」である。アイヌ自身
も国会に代表を送って、成立に向けた陳情を行っている。

 その内容は、農業を志望するアイヌには一戸につき、土地
1万5千坪を無償で与え、さらに貧窮者には農具と種子を給
付する、集落のある場所には小学校を設置し、貧困者の子弟
には授業料を支給する、といった手厚い内容だった。保護法
の提案説明には、次のような一節があった。
__________
 北海道の旧土人即ちアイヌは、同じく帝国の臣民でありな
がら、北海道の開くるに従つて、内地の営業者が北海道の土
地に向かつて事業を進むるに従ひ、旧土人は優勝劣敗の結果
段々と圧迫せられて、・・・同じく帝国臣民たるものが、斯
(かく)の如き困難に陥らしむるのは、即ち一視同仁(JOG
注: すべての人を平等に見て仁愛を施すこと)の聖旨(同:
天皇の思召し)に副わない次第と云う所よりして、此の法律
を制定して旧土人アイヌも其(その)所を得る様に致し度
(た)いと云うに、外ならぬことでございます。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「所を得る」とは、明治元(1868)年に出された「国威宣布ノ
宸翰(JOG注:天皇自身が書かれた文書)」にある「天下億
兆一人も其所を得ざるときは皆朕が罪なれば」(国民の一人
でもその所を得ないような事があれば、それは天皇である私
の罪であるから)という一節に拠っている。


■7.「アイヌ差別」の実態

 現代では、この「北海道旧土人保護法」もアイヌ差別だと
非難する声がある。そもそも「旧土人」という名称からして
差別だという。しかし明治・大正くらいまで「土人」とは
「地元民」というほどの意味で使われていた。そして現地の
和人を「土人」と呼び、それ以前から住んでいた地元民とい
う意味で、「旧土人」と呼んだのである。

 また「与えられた土地は悪い土地ばかりだった」という批
判もあるが、多くのアイヌは与えられた土地を和人の入植者
に貸して小作料をとっていた。とするなら、和人の小作人の
方がさらに差別されていたということになる。

 また、明治政府はアイヌの子供たちを東京に強制移住させ
た、と主張する人もいるが、これは開拓使が見込みのありそ
うなアイヌの青少年35名を東京の開拓使仮学校に就学させ
たことを指している。開拓史の役人が両親を説得し、就学す
る者には給与まで与えて送り出したもので、これまでも「強
制移住」と呼ぶのは、為にする非難である。

 明治・大正・昭和を生き抜いたアイヌ女性砂沢クラさんの
口述記には、次のような一文がある。[1,p24]
__________
 私は、これまで何度か「アイヌ」と言われていじめられま
したが、いじわるをする人はどういうわけか教育もろくに受
けられず、下働きのような仕事をさせられている人たちばか
りでした。・・・学校の先生とか医者など教育を受けた人、
もののわかった人は、私たちアイヌを本当の日本人として尊
敬してくれました。山の中で働いている営林署の人、発電所
の人、炭鉱の人も少しも威張らず、私たちを大事にしてくれ
ました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■8.『同化・融和・共生』の歴史

 こうした明治政府の政策や良識ある国民の態度を見ると、
後に朝鮮や台湾で実行された近代化政策[a,b]と良く似てい
ることに気づく。それは、すべての国民を平等に愛するとい
う「一視同仁」の精神を新たに日本国民となったアイヌ、朝
鮮、台湾の人々にも及ぼそう、という考え方である。

 もとより、歴史、文化、言語の違いなどにより、民衆レベ
ルではさまざまな差別もあったろうが、「一視同仁」の理想
のもとに、それらを克服していこうという意思が、政府にも
良識ある国民にもあった。

『古事記』『日本書紀』には、出雲、熊襲(くまそ)、安曇
(あずみ)、粛慎(みしはせ)など、さまざまな部族、民族
が大和朝廷に融和・同化していった過程が描かれている。蝦
夷(アイヌ)もまたその一つであった。

「我が国は遠く建国の昔から、『同化・融和・共生』を繰り
返しながら国家を形成し、そして日本民族を形作ってきまし
た」とは、北海道比布神社宮司の鎌田告人による[1]の前書
きの一節である。

 こうした我が先人たちの理想とそれに向けた努力の足跡を
偲んでみるのも、「建国記念の日」にふさわしいことだろう。


■参考■
1. 的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実─疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社、H21
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4886563392/japanontheg01-22%22

■リンク■
a. JOG(108) 台湾につくした日本人列伝
 これらの人々はある種の同胞感を抱いて、心血を注いで台湾の民生向上と
  発展のために尽くした。
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog108.html
b. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、
  農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html

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  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/



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コメント
お早うございます。
拙著をとりあげてくださいましたことに感謝申し上げます。北海道では北海道新聞が拙著の公告掲載を拒否しておりますので、なかなか部数が伸びないようですが、道外ではおかげさまで順調に部数がのびており早々に増刷されました。
一昨日、拙著を読んでくれたアイヌ系日本人が多く住む町の郷土史研究家が手紙を寄せてくれました。国会決議をはじめ事実とは異なるアイヌ史が大手を振って町の開拓史をゆがめ開拓者の子孫が、公的には肩身の狭い思いを強いられる状況にご苦労されている様子が文面から伝わってまいりました。この国会決議によりアイヌ系住民が多く暮らす地域の開拓民の子孫がこのような思いにさせられていることに心痛をおぼえました。今後はこうした人々の祖先への誇りを回復させることが大切だと思います。その意味で拙著の内容をひろくご紹介いただいた貴殿のご厚意に深謝申
し上げます。
  • 的場光昭
  • 2010/06/11 6:28 AM
今、ようやく関心を持ち少しアイヌのことを読み出したのだが、明らかに和人はアイヌの人々を蹂躙してきた。様々な現代の問題もこれらの問題を直視して解決しなかったために起きている。北方領土の問題も全てである。どんな形でもアイヌの人々に侘び保証をすべきである。
  • takeosuzuki
  • 2010/10/31 8:53 PM
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